外向きの生き方、内向きの生き方

生き方には2種類ある。情報を発信して自分がナニモノであるかを伝えていく作業を行う生き方。

それは目に見える、人が他者が理解しうる自分の説明的な側面です。私は日本人の男子です。仕事は精神科の医師です。趣味は旅行です。旅先でご当地グルメを食べ歩くのがこの上ない喜びです。自己紹介ではもっぱらこちらの生き方を説明することが多いです。

しかしこの外向きの私はほんとの私ではありません。自分というものを他者だけでなく自分自身にも説明するために、自分を構成している要素を説明しているだけです。

しかも、自分を構成している要素はこれまでの、過去の自分の要素の説明になっています。将来の夢を自分の要素にすることも可能です。例えば、近い将来マイホームを建てようとしている私は未来を含めた外向きの私です。

しかし、ここで考える必要があることは、果たしてこの外向きの私はほんとの私と言えるのかということです。これらのモノやコトは自分に従属するものではあるけれど、自分自身ではありません。

どうやら外向きの自分はどこまでも自分の従属物ということのようです。ほんとの自分ということにはならなさそうです。

内向きの私は、自分の内面、見えない自分、無意識の自分、もしかしたら自分自身もその全貌を知らない自分のことです。特に我々現代に生きる人間はこちらの生き方について意識する習慣にはなっていないです。

内向きの私は、ほんとの私です。目に見えない

内向きの私、無意識の私を意識化することで、これまで自分でもどうしてこんなことでつまずくのか?と言った日常生活の些細なトラブルや失敗から解放されていきます。

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